東京地方裁判所 昭和29年(レ)245号 判決 1955年11月28日
控訴人 山本久一
被控訴人 日本国有鉄道
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一、控訴人の求める裁判――「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」という判決。
第二、被控訴人の求める裁判――主文第一項と同じ趣旨の判決。
第三、被控訴人の事実上の主張――被控訴代理人において新に「被控訴人は昭和二十四年六月十日控訴人を解雇したが、その解雇は、控訴人が公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)第十七条第一項に掲げられている行為をしたことを理由として同法第十八条によつてしたものであり、この解雇の前に被控訴人が控訴人に本件建物の使用を許していたのは、日本国有鉄道所管宿舎取扱規程に基き被控訴人の職員としてその住居にあてるために使用を許していたのであつて、借家法所定の建物の賃貸借があつたからではない。」と補充した以外は原判決に書いてあるとおり。
第四、控訴人の事実上の主張。
本件建物が被控訴人の所有に属するものであること及び控訴人が本件建物を占有していることはこれを認めるが、その占有は不法占有ではない。
(一) 控訴人は従前から現在まで引き続いて被控訴人の職員であり、その職員たる身分に基き本件建物を使用する権限をもつている。控訴人は昭和二十四年六月十日被控訴人から解雇されたがその解雇処分は次の理由によつて無効である。すなわち、
(イ) 右解雇処分は控訴人が公労法第十七条第一項に掲げられている行為をしたことを理由として同法第十八条によりなされたものであるが、これらの規定は、勤労者の団体行動をする権利を保障している日本国憲法(以下「憲法」という。)第二十八条に反するものである。従つてその解雇処分は労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に該当し無効である。
(ロ) 又右解雇処分は被控訴人の職員の労働組合で活動している者のなかから共産主義を信条としている共産党員を排除する目的でなされたものであつて、そのことは控訴人と一しよに被控訴人から解雇された訴外石井方治がいわゆる民同系であつたためその後被控訴人から復職を許されたこと、その組合で活動している者のなかで共産党員でない者は被控訴人から何も処分も受けなかつたこと及びその解雇処分の直後、共産党を弾圧するため、三鷹事件、下山事件、松川事件等が相継いで捏造されたことに徴しても明かなところであるから、憲法第十四条第一項に反するものとして無効たるべきである。
よつて控訴人は現在もなお被控訴人の職員たる身分を有し、その身分に基き本件建物を占有する権限をもつているのである。
(二) 仮に前記(一)の主張が認められないとしても控訴人は被控訴人から本件建物を賃借しており、借家法所定の借家権を有するものである。すなわち、
(イ) 被控訴人が日本国有鉄道所管宿舎取扱規程によつて控訴人に本件建物の使用を許していたものであることはこれを認めるが、控訴人はその使用すなわち占有を始めたときから被控訴人に本件建物の借賃を支払つて来たのであるから、その関係は賃貸借である。
(ロ) 仮に前記(イ)の主張が認められないとしても、控訴人は被控訴人から前記解雇の通告を受けたとき以後にもなお被控訴人に本件建物の借賃として金員を支払い、被控訴人は何らの異議もとゞめずにその金員を受け取つたから、被控訴人はその受領行為によつて控訴人に本件建物を賃貸したものというべきである。
理由
本件建物が被控訴人の所有であること、及び控訴人が本件建物を占有していることは当事者間に争がない。
(一) 控訴人は、先ず控訴人が被控訴人の職員であることを理由として本件建物を占有する権限をもつていると主張するからその当否について判断する。
(イ) 控訴人が従前被控訴人の職員であつたこと及び被控訴人が昭和二十四年六月十日控訴人を公労法第十七条第一項に掲げられている行為をしたものとして同法第十八条により解雇したことは当事者間に争がなく、又その解雇処分以前に控訴人が前記の行為をしたものであることは控訴人の明かに争わないところであるからその自白があつたものとみなすべきである。ところで、控訴人は右公労法の規定は憲法に違反するものであると主張するから、次にこれらの規定と憲法との関係を考えて見よう。
思うに、憲法がその第三章において国民の権利を掲げこれを保障したのが、世界各国の国民がそれまで長い間専制と隷従とのためその権利ないし自由を犠牲に供せしめられて来た苦い、しかし、貴重な経験に鑑みて、日本国民はすべて尊厳なる人格者として他の何ものからも、就中、国家権力によつて侵奪されることのない天賦の権利を生れながらにもつているものであることを認め、その天賦の人権と国家権力との間に障壁を設け、国家権力を握つている者が専横である場合、特に多数者がその利益のために少数者に圧迫を加へ多数の力によつて国の政治を左右し少数の幸福をふみにじろうとするような場合に、国民一人一人の天賦の人権を守り抜こうという観念に基くものであることは憲法前文、第十一条第九十七条によつて明かなところである。故にこの天賦の人権を保障するということは、国家権力の行使、殊に法律の制定等によつて、国民個人の天賦の人権を侵害することを禁止するということ、換言すれば国民個人はその天賦の人権の享有について国家権力による干渉を受けることがないということを意味するものというべきである。そして憲法が思想及び良心の自由の不可侵を宣言し(第十九条)、信教の自由(第二十条)、集会、結社及び言論出版等一切の表現の自由を保障し、通信の秘密の不可侵を定め(第二十一条)、居住、移転及び職業選択の自由、外国への移住、国籍離脱の自由(第二十二条)、学問の自由(第二十三条)、婚姻の自由(第二十四条)及び人身の自由(第十八条、第三十二条から第三十九条まで)を保障し、財産権の不可侵を宣言していること(第二十九条)は、まさに前記のような意味をもつものと考えられる。
しからば憲法がその第二十八条で勤労者の団結権等を保障しているということも以上のような意味のものであろうか。成る程同条の規定は前記の諸規定と同じく憲法第三章の下に収められており、又その形式も前記の諸規定と殆ど同一の用語並びに文体によつて構成されている。しかも「勤労者の団結する権利」は一面においては前記の集会、結社の自由と一脈相通ずるところがないでもない。しかし、勤労者の団結権は団体交渉権並びに団体行動権とともに、憲法のよつて立つところの社会的基盤たる資本主義経済機構の下において、資本の力によつてともすれば惨めなものとなり勝ちな労働者の生活を確保することを目的とする権利である。従つてこれらの権利は前記の権利ないし自由のように国家権利による干渉を排斥することによつてその実現をはかりうるような権利ではなく、国家権力によつて資本家と労働者との関係に積極的な調整が加えられることによつてはじめてその実現が期待されうる権利というべきであり、このように考えてこそはじめて勤労者の幸福な生活を確保しようとする憲法第二十七条、第二十八条の規定の趣旨もいきてくるのである。すなわち憲法第二十八条はこれを同法第二十七条と関連させて理解することを要するのであるが、これらの規定は結局において憲法がその他国民は健康で文化的な生活を営む権利(第二十五条)及び教育を受ける権利(第二十六条)を有することを定めていることとともに、国家が前記の思想及び良心の自由等の保障すなわち国民各自に対する放任ないし無干渉にとゞまるときには、経済的ないし社会的地位の低い国民がその経済的社会的無力のため或は更に経済的社会的に優位に立つ者から経済的ないし精神的圧迫を加えられるためその保障されている自由等を実質上抛棄しなければならないような状態に陥り、憲法による天賦の人権の保障がこれらの人々にとつてたゞ描かれた餅にすぎないような結果になることを、避けるために、国民相互の社会生活関係に対して積極的に介入し、社会的経済的の力を有する者の専制を抑制するとともに、この力をもたない者の地位を引き上げて互いに対等な立場を保たせることによつて社会協同体全体の発展繁栄を期せんとするものに他ならないから、前記の勤労者の団結権等は、いわゆる社会連帯の思想に基き、単に社会的経済的に優位を占める者のみが幸福な生存を続けうることを避けて国民全員が均しく幸福平和な生存を続けうるような状態を醸成し、以て社会協同体全体が発展繁栄することを究極の目的として勤労者(一般的にいつて社会経済的に低い立場に立つている者)に賦与されたものであつて、高度な社会性をもつ協同体意識の所産と認めるべきである。しからば勤労者の団結権等はそれ自体において国家権力による調整を前提とする権利であり、又その調整は国家が社会全体の発展繁栄及び平和の見地に立つてこれを行うべきものとする他はないから、特定の勤労者にこれらの権利を認めることが社会全体の発展繁栄を妨げ或は社会の平和を攪乱する恐の顕著な場合において国家がそのことを理由として法律によりその勤労者がこれらの権利を有することを部分的に否定し、進んでこの否定された権利主張を敢てする者に対して社会的制裁を加えることは単に許されうることであるばかりでなく、却つてその義務とさるべきである。これを憲法の規定に即して立論すれば、以上の社会全体の発展繁栄及び平和こそはまさにその第十二条、第十三条にいわゆる「公共の福祉」に該当するものであるから憲法第二十八条所定の権利について国家が社会全体の発展繁栄及び平和を基準として法律により特定の勤労者に団結権等の享有を制限することは憲法それ自体によつて当然認められている国家の権利であると同時にその義務に他ならないものと解すべきである。しからば公労法がその第十七条第一項において公共企業体等の職員及びその職員の労働組合(以下「組合」という。)に対し、同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為を(争議行為としてでも)することを禁じているのが憲法第二十八条と牴触するものであるか否かは、これらの職員及び組合について争議行為としてこれらの行為をする権利を認めるときそのことが社会全体の発展繁栄或はその平和に対して如何なる影響を及ぼすものであるかによつて決定さるべき筋合であるが被控訴人の営む日本国有鉄道法第三条所定の鉄道事業、連絡船事業並びに自動車運送事業が我が国における諸種の交通事業中最大のものであり、しかも長距離輸送については独占に近い地位を占めており、その事業の正常な運営が国民経済の健全な発展繁栄と個人の日常生活の遂行に極めて重大な関係を有し、その事業の停廃が直に国民経済と個人生活を破滅にひんせしめるものであることは、特別の論証を待つまでもなく彼の交通機関が痳痺状態にあつた終戦直後の苦い経験によつて明かなところであるから、国家が公労法第二条を以て被控訴人を公共企業体とし、その第十七条第一項を以てその職員及び労働組合が同盟罷業、怠業等によつてその業務の正常な運営を妨げることを禁止したのは公共の福祉のために憲法上の権利と義務とを行使したものであつて、これらの規定はその限りにおいて憲法に違反するところはないものといわなければならない。
しかも国家が公労法の制定によつて被控訴人の職員及び組合から奪つたものはいわゆる争議権だけであつて、憲法第二十八条所定の権利全部を奪いとつたものではない。この点については争議権が勤労者の最後の武器であることから争議権を失つた労働者は憲法第二十八条所定の権利の享有を全面的に否定されたと同様であるという非難を提出する者があるかも知れない。しかし果してそうであろうか。憲法第二十八条の趣旨は、先にも触れたように生産手段をもたない労働者すなわち自己の技術と労力とを提供する以外に生計を立てる方法をもたない者が強大な資本の圧力の下に使用者の苛酷な条件を受け入れることを余儀なくされるような状態を解消せしめ、使用者と労働者とが互に対等の立場に立つて雇傭条件を設定しうる環境を育成することにあり、その中心は労資間の交渉すなわち「団体交渉」に存するものと解される。蓋し同条にいわゆる「団結」はそれ自体が目的である「集会、結社」の自由とは異り、団体交渉をするための労働者側の前提要件としての団結であり、又その「団体行動」は団体交渉において労働者が自己に有利な雇傭条件を使用者に承諾させるためにする行為であつて使用者がこれを忍容しなければならないという使用者側の前提要件ないし労働者側の手段にすぎないからである。かくて、当裁判所は、憲法第二十八条所定の権利は、講学上争議権団体交渉権並びに団体行動権の三個に分類されているが、実は団体交渉を中心とする一個の権利に他ならないものと解するとともにこの権利のなかからいわゆる争議権を排除するのは同条所定の権利を全面的に剥奪するものではなくて、たとえば労働関係調整法第三十六条ないし第三十八条による争議行為の制限等と同じく、公共の福祉の要請に基く制限の一態様に過ぎないものと解する。前記講学上の分類による三権を認めた上で公共の福祉の要請に基きその行使を量的に制限するのは合憲であるが、その権利の一つでもこれを否定することは違憲であるとする説があるが、そのような形式上の差異によつて合憲性を定めようとする説は当裁判所の採らないところである。しからば公労法が更に進んで同法第十七条第一項所定の行為をした者は解雇される旨を規定したのは憲法に適合するものであろうか。被控訴人の職員が同法第十七条第一項所定の行為をした場合に、国家が当該職員に対し制裁を加えることが憲法に違反するものでないことは先に説示したところによつて明かであるが、法律の禁止があるにもかかわらず敢てこれを破る者が重ねてこれを繰り返えす危険を有するものであることは疑のない事実であるから、国家が一旦前記の行為をした被控訴人の職員に対する制裁として法律により被控訴人がこれを締め出す権利を有することは当然のことであろう。されば公労法第十八条は被控訴人の職員に関する限り憲法に適合する有効な法律とする他はない。
これを要するに、本件解雇は適法行為であつて、もとより労働組合法第七条によつて禁止されている使用者の不当労働行為に当るものではないから、その解雇処分を無効とする控訴人の主張は採用に値しない。
(ロ) 控訴人は更に本件解雇処分は被控訴人の職員の労働組合から共産党員を排除する目的でなされたものであるから憲法第十四条第一項に違反するものとして無効であると主張するけれども、その前提事実を立証しないから右主張は採用することができない。
以上の次第であるから、控訴人が現に被控訴人の職員たる身分を有し、この身分に基いて本件建物を占有する権限を有する旨の控訴人の主張は何らいわれのないものといわなければならない。
(二) 控訴人は本件建物について借家法所定の借家権を有するものであると主張するからその当否について判断する。
(イ) 控訴人が本件建物の使用を始めたときに、その使用関係が日本国有鉄道所管宿舎取扱規程(旧宿舎取扱規程。――明治四十一年十二月十一日鉄道省達第二九号)に基く関係であつたことは当事者間に争がないが、右規定によると、被控訴人は、その企業運営の便宜のために一定の職員に対し被控訴人が所有し若しくは借り入れている建物の使用を許すとともにその職員が死亡、退職又は休職し或は転勤、転職してその建物の使用が如上の目的に適合しなくなつたときはその職員に対し退去を求めるものであることが認められる。しかして、企業の内部でこの種の規定を設けてこれに基きその職員に対し建物の使用を許すことが民法の賃貸借の規定及び借家法と直接に何らの係りのないものであることは、なお企業者がその事務の円滑な処理のために事務用品を備えて置き職員にその使用を許すのと選ぶところはないから、控訴人の本件建物の使用関係が初から借家法所定の賃貸借であるとする控訴人の主張は到底これを採用することができない。(被控訴人が公社となつて後も本文の規程は本質的には何らの変更も受けていない)
(ロ) 次に控訴人から本件解雇の通告を受けた以後本件建物の使用に関して被控訴人に対し金員を支払い、被控訴人が何らの異議もとどめずに右金員を受け取つたことは被控訴人の明かに争わないところであるが、この金員が本件建物の借賃として提供されたものであることを認めるに足りる証拠はない。しかして建物の使用が先に認定したような法律関係で始まつた場合に、その使用者が従前の身分を失つて後も建物の使用を継続し、これに関して使用料を支払つてもそのことによつて直ちに賃貸借ができるいわれはないから、前記金員の支払によつて本件建物の賃貸借ができた旨の控訴人の主張もまた採用することはできない。
(三) これを要するに、控訴人が本件建物の占有を被控訴人に対抗しうる権限を有することは遂にこれを認めることができないから、控訴人の本件建物の占有は不法占有であつて、控訴人は被控訴人に対しこれが明渡義務を負つているものというべく、控訴人に対しその義務の履行を求める被控訴人の請求を正当として認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三百八十四条第一項、第九十五条本文、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中盈 輪湖公寛 山本卓)